メモ

このページは、單獨の記事にする前の雜多な思ひ付きを書き留めたものであり、内容は後に整理されるかも知れないし、削除されるかも知れない。

2011-02-19

「わたしはどうすれば良いのだらう」と自らに問ひながら、實際に問ふてゐる事は、「わたしはどうしなければならないのだらう」といふ事だ。形式的には推奬される事について問ふてゐながら本當は義務について問ふてゐる。それゆゑに苦しみがある。だから、義務について問ひたい時には、はっきりと「わたしはどうしなければならないのだらう」と問ふべきであって、意思について問ひたい時には「わたしはどうしたいのだらう」と問ふべきだ。

では假にいま私は A といふ行爲を行ふことが求められてゐるとする。これを行はない事は、誰かへの迷惑になったり、誰かとの約束を破る結果になるものとする。一方で、いま私の意思は「何もしたくない、ただ何もせず休んでゐたい」と告げてゐるものとする。この衝突はどのやうに解決すべきか。一方的に義務を優先すれば、わたしは苦しく、既に破綻するかしないかの瀬戸際に立ってゐる場合には、やがては誰との約束も果たせなくなってしまふ。一方的に意思を優先すれば、良心が疼き、現實として後に不利益を被る事にもなり、それはわたしを苦しめるであらう。いづれにしても私の苦痛は無くならず、今それに襲はれるか、後で襲はれるかの違ひに過ぎない。さうであるのならば、義務を優先した方がまだ苦痛の度合ひの予測可能性が高いといふ點で、その方が賢い。